おおみそか


クリーム色のやさしい椿が落ちていました。
ささやかなことが身にしみます。
ところで、
ジョルジュドンのボレロ
これが、いまとても好き♡
中学生の時、強烈に心ひかれていたのですが、
いま見るとさらにそのすごさが感じられて、
時間がたつのも良いものだと思うのでした。
すごいおじさんだと思っていたけど、若者だったのでびっくり!
生きて行くことの複雑さや切なさ、どうしようもなさ、だけどあふれる情熱を強く包括してくれるようで、
それは、愛なのかも。
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地球と対話したいなあと思って、1年半くらい大地へのお供えを続けてきたのですが、
地球のかかえるダークな部分を表現することで、解放したいと感じるようになりました。
とくに今年の秋以降
闇は、光のお母さんであり、美しく見えても軽やかであっても闇を内包していない美術は美術ではない。
という思いが強まり、闇についてフォーカスする日々を過ごしていました。
最近は、どうやら願いが届く速度がめちゃくちゃ早いので、
つぎつぎ闇からの便りが届きました。
この世は最適な教科書のようになんでも学べるのでした。
ありがたい♡
(つらいけど)
いろんな所に闇がありますよね。
社会的なこと、個人の心にも、土地にもあるし、そもそも宇宙の80パーセントくらいはダークマターといって謎の闇でできているらしいです(今の人類の科学で言われていること)
いっけん、やさしく前向きな感じの中にもある事があったし、見分けがつかないっていうかも真っ黒よりもやっとしてるあいまいさの闇も多い気もしましたし、霊的な闇も見ました。
闇は、ポジティブとかネガティブとかの単純なことではなく
良い悪いではなく、ただそのようにあるだけでした。
でも、傷つくし不安だし大変不安定にもなってしまった。
そんなときしか感じられない事もあるけれど、
だから、じっと静かに虫のようになってそれを感じていました。
たぶん、自分の感情に関わってくるときは、怖れや無力感とか混乱の形をとるのでとてもつらいのです。
私はそれに参加したくないのですが、けっこうなすすべはないのでは!?と
思わされるいっけん強敵!
闇の気持ちとか言ったらまだちょっとかっこいいけど、
実際は、ほんとうになさけなくて、どうしようもない気分。
過ぎ去るのを待てば、どこかにいってしまう実体のないもの。
海のように満ちたり、引いたり。
なんだか、うごめくこの感じ…
闇と光と両方を受け入れることが、生命の源のような実感をもつに至りました。

最近、大人気の「満月キャンドル」![]()
生命力が満ちると言われている、満月の日の夜に摘んだ植物を使って作っています。
2月13日には、吉祥寺あんにゅい庵にて、教室&イベントも開催予定です。
満月キャンドル取り扱いギャラリーのお知らせ![]()
★masuiiR.D.R
埼玉県川口市にあるギャラリーです。

★手仕事工房 丹(あき)
鎌倉の一軒家ギャラリー。
★TURNAROUND(ターンアラウンド)
仙台の青葉区にあるギャラリー。
★ポネット
さいたま市東浦和のとっても美味しいケーキ屋さん。クッキーとキャンドルのセットもありますよ。
鎌倉の手仕事工房 丹さんの企画展
月と灯り展にて、満月の日の夜に摘んだ植物をつかって作った、満月キャンドルを出品させていただいております。
http://aki.kamakurablog.com/Entry/26/


オーナー丹さんの、セレクトした美しい陶器やガラスとともにキャンドルの灯りがやわらかに輝いています☆
ところで明日の冬至は、夜が一番長く、闇が深い日です。
闇がもっとも深いという事は、次の日から太陽の照る時間が増えていく光に最も近い日でもあり、闇から光への転換の日なのです。
人間も、母の胎内という暗い場所から、産まれたとき光の世界に来る。
その生死をつかさどる根源的な経験から、冬のこの時期に光を感じる行事(クリスマスや冬至など)があるということは、自然や星の運行と人間にとってもピッタリと合った行動なのでしょう。
先日、ケルト文化の鶴岡真弓さんの講演会で、知った事なのですが、「暦」と自然や宇宙がリンクしていることにあらためて、畏怖と尊敬を感じました!
本当に素晴らしいですよね。
そんなわけで、冬至はやっぱり、ゆず湯に入って、カボチャを食べようと思います。
冬至用のキャンドルも作ったので、もちろん灯します〜![]()
みなさまも、光を感じてみてくださいね![]()
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