石川雷太さんの日記(仙台から(2)被災地の海とあがた森魚)
仙台から(2)被災地の海とあがた森魚
今回仙台に行ったのは、現在『混沌の首 資料展』を
開催しているギャラリー・ターンアラウンドに行くためだ。
もともと4月10日の夜に瞑想ライブをやる予定になっていた。
10日の午後には、あがた森魚さんのプライベートライブが行われた。
実はこのライブで改めて若林区に行こうという気持ちにさせる出来事があり、背中を押されるように、夕方の4時過ぎから最も被害が大きかった若林区に向かった。
僕はもともとあがた森魚さんのファンで、偶然に同じ日にターンアラウンドでライブがあるというので、「赤色エレジー」など懐かしい曲をリクエストしながら楽しませていただきました。
あがたさんはこの日、何故かライブの途中で「観客が多くても少なくても、一万人でも一人でも同じなんだ」ということをしきりに言っていた。
ライブの中盤になった頃、車がギャラリーの前に止まり、あがたさんが「皆さんに紹介したい人がいます」といって佐藤さんという方を紹介しました。佐藤さんとその息子さんは昔からあがたさんのファンで一緒にライブに出かけていたのだということでした。そして、今回あがたさんは佐藤さんの招きでプライベートで仙台に来たのだという。
佐藤さんの手には折れ曲がったナンバープレートが。話を聞くと佐藤さんの息子さんは今回の震災で津波に飲まれて亡くなったのだそうです。そのナンバープレートは、亡くなった息子さんがその時に乗っていた車のものだということでした。
あがたさんが今回仙台に来た一番の理由は、亡くなったその息子さん、亡くなったファンひとりに向けて海で歌を歌うためでした。
「一万人でも一人でも同じなんだ」という意味が解りました。本物のアーティストは、金にならなくても、例え相手が一人であっても、例え相手が死んでそこに居なかったとしても、必要だと思えば歌うのです。
佐藤さんは焼け焦げた車のナンバープレートを皆に見せながら言いました。
「この現実を皆に伝えてほしい! まずは自衛隊や救助隊、瓦礫をどかす土建屋の仕事です。しかし、これからは表現者の出番です。自分は表現の手段を持っていません。だから表現者の皆さんにこの現場を見てほしいのです!」
否定の余地はない。見ることそのものが、我々の義務だ。
そして僕はすぐに若林区に向かいました。
もちろん不謹慎な冷やかしは論外だが、今誰もが表現者になるべき時かもしれないとも思う。テレビでは伝わらないことが本当にたくさんあるということが、現場に行けば一瞬にしてわかる。まずはそこからだ。
表現者と言って抵抗があるなら、発信者と言ってもいい。そのためにはまず良き受信者とならなくてはならない。デマかどうかは自分で確かめる。そして正しいと思ったら、自分が信じるそれを責任をもって発信すること。少しずつかも知れないが世界は変わる。そして諦めないこと。
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