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石川雷太さんの日記(仙台から(1)若林区から)

石川雷太さんの日記がすばらしかったので、ご紹介します。

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仙台から(1)若林区から

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仙台で最も被害が大きい若林区に行きました。
想像を絶するという言い方があるが、まさにそのような経験です。

車両立ち入り禁止の看板を通り過ぎ海岸へと続く道を車を進める。

海岸から5キロくらいの地点から畑の中にゴミが目立ち始める。
始めのうちは、ああここまで津波が来たのだな大変だったのだろうな
と考える余裕もある。

しかし、道を進めるにつれ瓦礫の大きさが増し、
泥の山、横転した車、全壊した家、根こそぎ千切れている大木、
グニャグニャにねじ曲がった鉄筋建築のH鋼、紙のように潰れた車、
跡形も無く消滅した家のコンクリートの基礎だけが並ぶ様を見る頃には、
言葉も出ず思考も動かなくなった。過呼吸のような状態に。

テレビやネットでの情報である程度の想像はしていましたが、
それをはるかに超える惨状、地平線まで続く瓦礫の山、
大空襲や原爆投下の後を思わせる光景でした。

僕は何かにつけ想像力が大事だと言い続けてきましたが、
想像力だけでは全く足りない、歯が立たないと思いました。
想像力は大事だ、しかし想像力では絶対に超えられない現実がある。
それを実感した。

テレビの報道では、人が動いている場面ばかりを流すので、
あたかも復興作業が着々と進んでいるようにも見える。
確かに自衛隊も来て作業をしてはいるが、
あまりに規模が大きすぎてほとんど作業は進まず、
かろうじて主要道路だけが車が通れるだけに瓦礫がよせてある程度で、
それ以外の場所は放置状態だ。それが海岸沿いに何十キロも続く。
全く人が足りていない。
復興には数年、数十年かかるだろう。そういうレベルだ。
テレビの報道が、被災者を元気づけるための
良心が作る嘘だということがわかる。

まだまだ多くの遺体も埋もれているだろう。
この場所で一月前に、一瞬にして数万人が死んだと考えると重みが増す。

車を停め、砂浜に入る。防波堤の柵はなぎ倒されたまま。
今この瞬間に津波が来たら確実に自分も死ぬ。絶対に死ぬ。
僕は死を覚悟しながら海辺を歩いたのは初めてだ。
こんなに怖い海を見たのも初めてだ。

おそらく、リアルな世界に対峙するというのはこういうことだ。
「生」は「死」によって活かされる。
復興とは、そのような意識を共有し、現実を見据え、
掛け替えのない残された「生」を守ることである。

情報だけの想像で、現地に行くのは不謹慎などと考えずに、
とにかく出来るだけ多くの人々がこの現実を体感すべきだ。
現実を直視すべき、まずはそこから始めないと話にならない。
真摯な姿勢があれば現地の人々も決して拒むことはないはずだ。

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