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なぐもちゃん

なぐもちゃんの実家は、福島県の南相馬にあって、津波で流されてなくなってしまい、おばあちゃんも死んだ。でも、おばあちゃんの遺体は綺麗で、弔ってあげられたので、行方不明の人も多い中、うちは幸せだったというの、優しいよ、なぐもちゃん。

家に帰ってみたけれど、どこが家があった場所だか分からなくなっていて、カーナビがその場所を教えてくれたのだそう。でもそれでも信じられないほど変わり果てていたらしい。

お父さんとお母さんは、無事で今、飯館村の親戚のお家にいて。でも放射線が高いから避難区域に指定されたら退去しなくちゃいけなくなるかもだけど、実際、酪農をやっている人が多いからそんなに簡単に離れられない人ばかりなのだそう。もうとっくの先に出て行ってしまった人の牛は死に、国からの保証はされない。

なぐもちゃんの家は、原発から三十キロ圏内にあり、三十一キロの辺りに住んでる人の一部で、「一キロ違ったから空気が違うということはないから、保証しろ」と騒ぐ人もいて、義援金の配分が遅れたりしているらしい。
「だったら、避難地区を五十キロとか多めに指定してあげたらよいのに…」と、わたしが言ったら「そうすると、福島の縦にひかれた大きい道が、含まれてしまうので東北に向かう流通出来なくなってしまうから、国がそうできないのも分かる。福島の人は「分かっている」のだそう。
また、風向きが変わる土地だから、またもう少したったら流れが変わるので、円で区切ることが意味ないことも充分に分かっている。

原発について、地元の人がどう思っているかというと、それどころではないのではないかと。失ったものが多すぎて、特に家族が見つかっていなかったりする人にとっては。
原発が出来てから仕事が増えたのは事実で、なぐもちゃんの同級生も今現在、原発の作業してがんばっている。だから、単純に反対だとか頭にきたり出来ないもののようなのです。

それで、なぐもちゃんは、二十代で妊婦さんなので、最も放射能に気をつけて欲しい人なのだけど、月末に南相馬に行くのだそう。
亡くなった人たちの四十九日があるから。おばあちゃんやお友だちたち、みんな同じ日に亡くなったから四十九日が同じ日なのだ。(それが現実というのだけをとっても想像を超えている。)

「危ないから、赤ちゃんの事を考えたら行かない方が良いよ」とか人は簡単に言えるけど、じゃあ安全でも、大切な人をほうっておいたり出来て、それがいいのかといったら、それは分からない。
たぶん、なぐもちゃんは、放射能の危険性もちゃんとわかってると思う。何を大切に思うかは、誰も立ち入ることの出来ない心の自由だ。
頭で考えたことと、実際は違う。

地震、津波、原発、そして妊婦という事を経験しているなぐもちゃんは、想像をはるかに超えた壮絶な一ヶ月だったと思う。

だけど、すごいのが、そんな事をまったく感じさせないほど、ピカピカに可愛いのです!
ほんとにすごいよ!生きてる女神を見たよ。新しい魂という感じがする。
「大変だったね…」と言ったら、大変なのは自分だけではない、みんな何かしらの影響を受けているという。
福島の地元の人は、絵や音楽が好きで、でもそれも流されてしまったという。おばあちゃんの大事にしてた着物もなくなってしまったそう。
わたしが絵を描いてるから、絵や美しいものは大切なんですよということを伝えてくれたんだと思うけど、どんな時でも相手の事を考えた言葉を言えるって本当にすごいと思った。

受け入れて、前向きに生きるということの深さに感動した。
こんなすばらしい人たちがこれからお母さんになったら、よい世の中になりそうだなと頼もしく思った。
なぐもちゃんの赤ちゃんが良い子に産まれてきますように!

ところで、わたしは原発はやめた方がいいと思う。
危ないし、利権の人は腐ってるし、シャレにならない危険なゴミが大量にすでにあって、しかも処理出来ないから、子孫たちに負の遺産を残す予定で。地球にも敬意をはらわないその姿勢も頭がおかしい。被爆をともなう原発の仕事をする人は、ホームレスなど弱い立場の人も多く健康管理なんて実は全然されてなくて、人権とか配慮されてないとう事実。電気も実は足りている。
どれをとっても大問題満載なのに、それをテレビは、電気会社から広告料をいっぱいもらってたりするので言わなくて、国も本気で洗脳する勢いでいるから、疑わないおっとりとした人は洗脳されてたんだよ。ビックリ‼‼

そこには、現代社会の様々な問題が象徴的に、関心するほど集結している。ときほぐれていくことが、人類の進化につながる大切なテーマだと感じる。

きのう、なぐもちゃんと話して、地元の人は色々複雑で、今は、国や東電に文句言ったりどころではないようだった。

でも、どう考えても、とんでもなくひどい事だから、国も東電も許せないよ。人を守る気ないんだよ。ガッカリだよ。

近すぎるとみえなくて、遠くだと分かることもあるし、その反対で、近くでないと感じられないこと、遠くにいたら分からないこともある。

だから、自分が、どこにいてもしっかり見て考えることが、ぜったいに全体のためになる。

いろんな立場の人がいて、いま、それぞれかなり真剣に考えざるを得ない状態だと思うのだけど、利権の人のことも含めて、いちど多様性をみとめて中庸を探すということが、誰でも具体的にすぐできて、そこに道があるように思いました。

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