にゃんたま
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風が強いので、椿の花びらが落ちていました。
一枚一枚がハート形で可愛らしい。
風の日は、並べていても、飛んでってしまうので、注意が必要です。
でも、風は常に吹いてるわけではなく、波のようにリズムがあって、吹いたり、静まったりをくり返しているのです。
吹いてるときは手でおさえて、吹き止むのを待ち、少しずつ並べる…をくりかえします。
そのうち、風が来る気配が分かるようになってきて、餅つきのように阿吽の呼吸でくり返すのでした。
押さえているときは、それなりに必死で1分とか2分とか待つのですが、その間は無の状態だということに気がつきました。
ふだんの生活で、思い通りにならなくて焦ったりしてしまう時もありますが、何か考えてみてもそのこと自体にあまり意味がなくて、ただただ風が通り過ぎるのを待つように自然にあれば良いのだなと思いました。
乾燥中です。
あぁ〜楽しみだなぁ♥
☆☆☆☆☆
わたしの周りに、仕事が忙しすぎて疲れている女子たちがたくさんいて、みんな可愛いのに大変そうです。
それについて夕べ、考えていました。
本来、湖のほとりとかで、お花をつんだり、お茶したり、寝転んだり、たわいもない話をして笑ったり踊ったりなごやかにのんびりしたりするのが似合うひとたちなのに、いまの社会といったら、信じられないスピードですものね。
さらに、女子にかかる、歴史や社会から積み重ねられた暗黙のプレッシャーといったら半端ないと思うのですが、そのことはあんまり気がつかれてないので、なんだか生きるのがたいへん。。。っていう空気になってると思うのです。 気がつかれてないというのは、じつはあなどれない喪失感を生み出していると思うのですが、気がつかれてないゆえにサラッと流されてしまっていて。
そしてみんなに共通しているのは、とても優しいということ。優しいからがんばってしまうのです。
しかし、勇気をもって、ぜんぶをぶっちぎって輝いてほしいです。
わたしの脳内で、湖のほとりとかでみんながリラックスしている場所をもうけて応援してるからね!
よかったら遊びにきてね♥
また、どのような状況であっても人はそれぞれ輝けるということを、わたしの人生をかけて証明したいと思っています。
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冬はあまり花は咲いてないけど、それ以外の面白さがあります。
見た目は地味でも、花がたくさんあってもなくても、今この場での何かの重量は同じです。
散歩の途中でふと思ったのですが
もしたとえば、法律で絵を描くことを禁止された国になったとして、
自分がどうするかといったら、こういうふうに花や草を並べたりするんだろうなと思います。
花とかがなくても、石とか並べたりするんだろうな。
さらには、それすらなくても、好きなものを見て頭の中で想像で繋げたりとかして楽しむと思います。
それが、わたしにとって絵を描くこととだいたい同じ実質なのかもしれません。
デッサンをしてみると、石でもその辺にある一見なんでもないようなものでも、実は造形的に見たら素晴らしいバランスと調和を持って存在していることに気がつきます。
自分で描いてみたら、同じものを作ることの果てしなさに気が遠くなります。
人間も造形的にみたら本当にすばらしいです。
スタイルがいいとか悪いとか、若いとか年取ってるとか病気があるとかそういうこと以前の、地球の進化のはての洗練された機能美を誰でも持っているってすごいゴージャスなことですよね。
様々な条件づけのもとに判断されることの多い現代社会では、そんな価値をすっかり忘れてしまいがちですが、わたしは忘れないでいたいと思います。
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秋バラがいよいよ、この冬最後になってきました。
寒いのにがまん強く咲いてくれています。
数年前、ハワイ島にあるサウスポイントという所へ行った時に、庭で咲いたこのバラの花びらをポケットに少し持っていっていて、海にまいてお供えしたことがあります。
サウスポイントは崖の縁で向こうは海しかない場所で、そこに花びらを少しまきました。
そうしたらその瞬間、イルカの群れがあらわれたのです!
とてもびっくりしました。
「あっ!友だちににも教えたいっ!」と思って、あたりを見まわしたけれど、友だちはいなくて
「じゃあ、写真を撮ろう!」と思ったら、イルカはもういなくなってしまいました。
「ああ、がっかり。。人に見せたり形に残したりすることを考えるのじゃなくて、その瞬間を自分で感じてコミュニケーションすればよかった。同じ瞬間は2度とない。そこを大事にしないと結局、人に伝えることもできないではないか。」
と、心の中で思っていたら、
再びイルカの群れが出て来てくれたのです!
とても嬉しかった♥
そして、今度はゆったりとした気持ちでその時間を味わい(ちょっとドキドキしてたけど)美しく楽しそうに泳いでいるイルカたちを見つめました。
なにかをしたら、目に見えなくても、ちゃんと伝わるのだということを教えてくれた気がして、イルカには本当に感謝しています。
今朝は、何もできそうにない感じがして、
でもとりあえず庭にでました。
絵を描くときもそうだけれど、何かをしようと思った時、とてもこわくなることがあります。
そんなときは勇気をもってやってみるしかないのでした。
今日も、そういう感じで、庭にでてみたのですけれど
自分で考えなくても自然と庭が教えてくれたのでした。
何も考えなくても良かったのだと。
自分で作ったり、全てをコントロールしたりというモードになってしまうと、何も作れない。
自分が作っているものなど実は何もなくて、受け取ったりアクセスしたりして、すばやく見逃さず正確に届けるのが出来ることのようです。
YUUKAヨガで、人や自分自身を癒すマントラ
「ラマダササセイソハン」
を教えてもらいました。
RA…太陽
MA…月
DA…大地
SA…普遍のエネルギー
SA…普遍のエネルギー
SAY…自分
SO…個人と普遍のエネルギーの融合
HUNG…実在する無限
という意味があるのですって。
マントラとは唱えるものなのですが、音を通して身体の中から振動していくのがわかって大変美しく、心地よいです。
冬の太陽は、日差しが横から差し込みます。
影も横に落ちます。
こうして写真に撮ると、ものの形は本物と違って見えるのだけれど、
それを残念に感じるのではなく、目に見えるものだけが全てではないので、その奥にいろいろあるものを感じることができます。
柿の実はついに、全部なくなりました
ところで先日、ガイアシンフォニー地球交響曲第2番を映画館で見ました。
YUUKAちゃんがうつっている!のです!しかも19歳の!
…というきっかけで見ることになったのですが、すばらしいドキュメンタリー映画でした。
地球はひとつの大きな生命体であり、すべてはつながっていて、ひとつであるということを実践し、愛をひろげることに従事している人々の活動やメッセージが描かれています。
ちなみに、私が見た第2番は
1 ジャック・マイヨール(素もぐり105メートル記録保持者、イルカの友)フランス
2 14世ダライ・ラマ法王(チベット仏教最高指導者、東洋の叡智)チベット
3 佐藤初女(日本のすてきなおばあちゃん、日本の女性の生活の中の叡智)日本
4 フランク・ドレイク(天文学者、宇宙生物学者、地球外知的生命探査計画の父)アメリカ
…の4人が出演されています。
鳥がやってきて、柿を食べます。
枝の根元まで食べると途中で実が落ちるので、地面のあちこちに柿の食べかけが散らばっています。
それを集めたもので、おそなえを作りました。
もう、残り少なくなった柿の実。
食べかけの柿が落ちてるのも、ほんの少しの時期しかないのです。
そういうのを見ると、日々移り変わらないものは何もないな〜と思います。
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このおそなえが、なんなのかを良く質問されるのでご説明します。
大地への感謝と対話のために、これを始めました。
お花や植物は、庭で育ったものを使います。旅先や出先の場合は、その土地に落ちていたり、はえているものを。
家の庭では、毎年どこからかノラ猫がやってきて子猫を産み、生きて、やがて死にます。
死んだ猫を埋めるときに、花を供えます。
死を彩る花の存在について考えます。
古今東西、人は「死」に際して花をたむけてきました。
そうせざるを得ない人間の気持ちはどこからやってくるのでしょう?
どうにもならないことに対して、せめてもの気持ちと祈りの表現。
そうした気持ちの中に、様々な問題をひもとく鍵があるように思います。
戦争、病気、苦しむものたち…あまりにもいろんなことが多すぎ
自分では何も出来ないように感じる。
しかし、せめて
多くの恵みを与えてくれる土地、地球に感謝と祈りを捧げたいなと思い、大地とコミュニケーションするために毎日作っておそなえすることにしました。
そして、猫たちや、その他の全てのむくわれなかったものたちへのために、愛を届けたいと思います。
先日、YUUKAヨガで
呼吸に集中していたら、呼吸ってなんて美しいんだろうという実感を得ました。
気持ちや体調がどうであっても
常にこのような美しさが身体を維持させ生かされているという、とてつもない神秘!!
その中に私たちはいます。
庭で苗を植えていたら、humming birdさんが通りかかって、声をかけてくれました
かわいい鳥のイメージがのこったので、そうなるかなと思ったのですが
なぜか、フグになってしまいました! ニャハ!
バラのつぼみが、寒さでひらかなくなってきました。
このまま枯れてしまうのも、さみしいので摘んでみました。
ひらききってないので、はなびらにカーブがかかっていてスプーンみたいで可愛らしい。
薄いピンクの、このバラは、10年くらい前に叔父がくれたもの。
ほんとにきれいに良く咲いてくれました。
同じ木から咲く花でも、季節によってぜんぜん違うことに驚きます。
中央のは椿、たしか「大神楽」という名前です。
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